広島高等裁判所岡山支部 昭和31年(う)133号 判決
所論前段の要旨は原判決は被告人の本件所為を常習賭博と認定したのであるが、被告人は万年筆の現物取引により代金受領と同時に万年筆の所有権を移転し、然る後そのサービス的景品的の目的でトランプを引かせ当り札を引きあてたものに対しては賞金を交付していたのである。顧客の当り札を引きあて賞金を得たいという気持が万年筆を買うという意思決定をする動機となつていることは言をまたないが、万年筆の売買とトランプを引かせる行為とが一体となつて賭博行為を構成するものではない。これは一般市場において行われている景品付大売出の場合と同様、売買と当り籤を引くこととは別個の行為であつて相当因果関係を欠くものというべきである。もつとも籤にあたれば賞品が得られるという顧客の心理的刺激をかりたてて、高い値段の万年筆を売りつけて暴利を貪るのであるから、暴利行為として取締るべきであるというのである。
よつて検討するに、原判決に掲げた証拠によると、被告人の行つた方法はなる程所論の如く万年筆一本を代金千円で販売し、これを購入して代金千円を支払つたものに対しては三枚のトランプからなる籤を引かせ、その結果当り籤を引きあて得なかつた場合には万年筆一本のみを渡し、当り籤を引きあてた場合には別に現金三千円を提供するというのであつて、籤を引くことも、籤を引きあてた場合に提供する現金三千円も、恰も被告人が万年筆一本を買つて貰つた景品であるかの如き観を呈するのであるが、原判決も認定しているように、被告人が売買名義で交付する万年筆は実は安価なものであつて、一本千円などという価格で真実売買することを目的とするものではなく、万年筆の売買とは単に表面を仮装するものに過ぎないのであつて、これを全体的に観察すると、その実はトランプからなる原判示の籤を引かせることを目的とするものであることは容易に知ることができる。従つて籤を引かせることと、賞金を提供するということは所論のように万年筆の売買と別個の関係に立ち、この売買に附随する景品等というのとはその性質を異にしておつて、三千円を代償としたトランプの籤にあたるか否かの全く偶然な勝敗にかかつているわけであるから、賭博にあたることは明かであつて、原判決の認定に誤りはない。
本件行為が賭博である以上暴利取締の問題を生ずる余地は更にない。
所論の後段の要旨は原判決は被告人の所為を常習賭博と認定しているのであるが、被告人の常習性を認定すべき証拠が十分でないというのである。
しかしながら、被告人の検察官に対する供述調書の記載によると、被告人は昭和三十年十月頃より各地を転々として本件と同じ方法により街頭賭博をして歩き、昭和三十一年二月迄島根、広島、山口各県下において万年筆百五十本位を捌き、客から得た総金額は十二、三万円に達し、津山に来てから同年二月十二、十三、十四の三日に亘り、荒神様の境内で店を張り、客二十人位とやつて逮捕されなかつたら引続き同じ方法でやる積りであつたことが認められ、また押収の証第五号等によると、被告人は当時百十数本の万年筆を所持していたことが窺われ、これと小島俊満、青山寛太郎、山本房治の検察官に対する各供述調書の記載等により認められる本件賭博行為の性格、態様等を勘案すると被告人は当時他に一定の職業を有せず本件の賭博を常業とする者であることが窺われるのであるから、その常習性を認定するに何等妨げない。
(裁判長判事 有地平三 判事 宮本誉志男 判事 浅野猛人)